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  一門での600勝達成祝賀会

一門での600勝達成祝賀会
2003.10.27

前、左から師匠、松井二段、村田四段、
後、左から7号、久保八段、中川さん(一番弟子)、村田女流1級、松平さん(将棋センターのマネージャー)
     
 
将棋連盟のテニス合宿 淡路島にて
「師匠の趣味のテニスの合宿」
「ライバルの堀田さん(将棋連盟職員)とペアーを組む」
「ライバルの堀田さん(将棋連盟職員)とペアーを組む」
研究会のメンバーと出雲の竜王戦を見学に
 
久保六段のお祝い 神戸本町支部の人と共に
 
久保八段昇段祝賀会にて挨拶
 
一門での600勝達成祝賀会にて

 

今回は2003年9月5日vs増田裕司五段(王座戦)に勝って「600勝」を達成されました、 淡路仁茂九段の登場です!私、どかん7号の師匠です。師匠の600勝達成のニュースは とても嬉しく思っていましたが、まさか「大好き!関西棋士」の記事を自分が頼まれるとは・・
僕としては少しでも師匠孝行するためにも、とてもいい機会を与えられたと思います。
文章には自信ありませんが、よろしくお付き合い下さい。  (600勝達成の投了図

なお、師匠の成績や思い出の一局などは関西将棋会館ホームページのメールマガジンに 詳しく紹介されているので、ぜひそちらもご覧いただきたいと思います。  
 
〈Q1. 600勝達成の瞬間の気持ちは?〉
A.正直うれしかった。順位戦の中座五段(8/24)に負けてズルズル負けるかなと不安やったし、増田五段戦も苦しい将棋を逆転して勝ったので・・・。
棋士になってもうすぐ30年になるけど、年間20勝ペースで来ているからまあまあかと思う。
 
師匠は今でも研究熱心だ!連盟へライブの将棋を調べに行き、研究会も精力的にこなしている。 対局も持ち時間を残すことは滅多になく、目一杯使うし局後の検討にも時間をかけて行う。 僕が奨励会に入りたての頃はいつも3〜4時間は感想戦をしていることが当たり前だったので、 先輩奨励会員にはよく「君の師匠、将棋好きやな〜」と言われていたもんだ。
棋士には残念ながらなれなかったのだが、兄弟子の中川さんは「師匠は努力を継続できる人」と仰っていた。プロ棋士として強くなるための努力は当然しているだろうが、それを30年続ける ということはなかなかできないことだと思う。
プロ棋士としても尊敬できる師匠に出会えて (弟子一同)ホントに良かったと思います。
 
 
〈Q2. 弟子について〉
A.みんなそれぞれの個性があって、話したり研究会など将棋指すのも楽しい。
弟子は育ててあげるというもんでもないから、基本的には放任主義です。
(奥様からは無責任だと言われたりしてるらしいです・・)
 

僕が奨励会入った頃は、よく怒られました。
研究会で使ったら部屋の後片付けをきちんとするとか出来て当たり前のことが出来ず怒られて、僕が出来ていても他の弟弟子が出来てなかったら怒られて・・・と、奨励会入って3年はそんな感じでした。
でもこの3年できっちりしつけていただいたこと そして師匠が何を云わんとするかが、20歳を超えると少しづつわかるようになり今の自分があると思います。
師匠には迷惑掛けっぱなしなので、近いうちにいい報告ができるようにと思います。


淡路一門の棋士・奨励会員の紹介
  ・・みなさん応援よろしくお願いします。

久保八段は師匠が玉と歩から教えたことは有名ですし、今や押しも押されぬトップ棋士!
A級順位戦も挑戦権争いをしてますし、JT日本シリーズも「JT決勝進出!」です。
師匠も「タイトル獲ってくれ!」と思っているはずです。

村田四段は僕とほぼ同時期に奨励会にいました。
級位者時代には二人で師匠に奨励会の将棋を見ていただきました。
村田くんは低級時代は滅茶苦茶の攻め将棋だったんですよ〜
師匠に全部駒取られるくらいの・・彼が一番師匠の将棋を吸収して受け将棋に変身しましたね!  これからブレイクしてくれるはずです。

松井二段は最近二段に昇段したばかり。
週刊将棋のインタビューで、師匠の影響で受けにも磨きがかかったと答えて いました。
次の一手や詰将棋を作れる才能は僕からも見ても羨ましく思います。

村田女流1級は村田四段の妹。
今期は女流王位リーグと 女流名人位B級リーグに入りました。残念ながら王位リーグ は陥落したが、名人位リーグは三連勝してA級昇級の 可能性もあり(勝ち越しても陥落する可能性もあるが) チャンスを捉まえれるか?いい結果を期待している!

 

〈Q3. 「西日本道場連合会」を結成して、普及に対する期待は?〉

 
名人戦が堺市で行われた時に村上さんと大庭美夏さん
 
近鉄将棋祭り 解説森内さんと
 
将棋の日イベント 次の一手予想
 
第24回将棋の日関西将棋会館道場にて
 
A.
実は20年前にもこの話はあって北川さん(連合会の会長)が呼びかけたそうだが、その時はどこでもうまく運営出来ていたから話がまとまらなかった。
でも今はどこもお客さんの人数が減って運営するのも大変やから力合わせてやっていこうということで結成することにした。
道場・将棋センターは、「ファンと接する最前線だ」というのが僕(師匠)の考えで、道場が潰れてはいかん、ここで頑張って踏ん張ってもらって、再び将棋の普及の基点になってほしい! と思う。
将棋の普及とは「将棋にふれてもらうこと」という定義で考えてるから、棋士に興味持ってもらうも良し、ゲームとして楽しんでもらうも良し。そうして興味持ってもらった人が友達や子供に伝えたら将棋の輪が広がっていくはずだし、その基点になるのが町道場だと思う。
一時期は将棋の普及はもう難しいなと諦めてた時期があったんやけど、中国の許さんのとこ等を 見てると、決して諦めることはないなと感じてきてて最近は普及についても悲観しなくなった。
将棋連盟がファンから見放されないように連盟自体がファンを開拓する努力が必要だと思う。


 

師匠との話題は普及のことが多い。 僕が連盟の教室を手伝っていたので話易かったのかもしれない。  奨励会を辞めて今、師匠の側で教室をやらせてもらっているが、どう運営していくかとか勉強になる。

僕が教室(将棋連盟)に携わることになったのは、阪神大震災の年(僕が19歳で1級)のこと。  師匠に「今度連盟の教室手伝うことになりました」と報告すると「君、そんなことしてる場合やないやろ」 と怒鳴られた! 今思えば「もっと将棋に集中してくれ」と当然のように感じられるが、当時の僕は悲しいかな師匠の怒りを全く理解できなかった。 そんな僕とは半年ぐらいは口聞いてもらえなかった。

地震があっても、自分は夢を追いかけてホントにいいんやろうか? その年の5月に1級に昇級してからずっとそんなことを思っていたので、忙しくしたら考えなくなるかもと思っていた。 動機は不純だった。

初めて行った「女性教室」は笑い声の絶えないなんとも楽しい雰囲気だったことを今でも覚えている。  奨励会に入って忘れてしまった「将棋って楽しいもん」だったことを思い出させてくれたし、もう少し続けてみようと決心できたので、あの時やって良かったと思っていてけっして後悔はしていない。

それから少しづつ僕なりに普及のことも考えるようになったし、他のプロの先生の将棋の教え方や師匠の普及に対する姿勢にも注目するようになった。
僕から見た師匠は対局も普及も大切にするプロ棋士として理想的な棋士だと思う!


 

師匠といえばパソコンと思いつく人が多いみたいですね!でもネットで将棋を指すことはありません。
「棋士がネットで指すなんて、趣味やと思うわ」と言ってはりますし、これは4〜5年も前のことで僕が「先生パソコン買おうと思っているんですが・・」と言うと、「将棋の研究にはならんから止めなさい」と言われました。 将棋の為ではなかったのですが、買うなと言われたので止めました。

でもネットが普及されると、僕は妹のパソコンを使っていました。 この時はずっとネットで将棋指していましたが、将棋が粗くなるだけで、強くなった気がしなかったんでやはり師匠の言うことは的を得ている ように思います。

これは人それぞれの考えがあるでしょうから反論されるかもしれませんが・・
そんな話の続きに「新聞の切り抜きを今でもしてるけど、研究のためというよりこれは趣味やね」と仰ってました。毎日切り続けて、ダンボール3つ分も溜まっているそうです!昔の観戦記を読むのも楽しいとのこと。 やはり「師匠は将棋が好きなのだ」と思った話でした。

これからの師匠の活躍を楽しみにしながら(3期連続王位リーグ入りに向けて好発進!)筆をおきたいと思います。

将棋センターのパソコンの前で
記事 撮影  どかん7号
写真提供 淡路仁茂九段